娯 - Activity -

キャリアカウンセラーでの経験を生かして、 「かわいい」だけではない馬の力を伝えたい

キャリアカウンセラーでの経験を生かして、 「かわいい」だけではない馬の力を伝えたい

「南相馬では、馬が道路を歩く風景を当たり前のように見られます」(市ホームページより)。そんな「馬のまち」として知られる南相馬市に県外から移住し、馬事文化の継承や馬を活用した交流人口の拡大に取り組む女性がいる。NPO法人相馬救援隊の中澤葉子さんだ。同団体が南相馬市馬事公苑内に持つ厩舎を訪ねると、サラブレッドやポニーたちとともに笑顔の中澤さんが出迎えてくれた。

Share

地域のシンボル、野馬追の本当のすごさとは

そもそもこの地を「馬のまち」たらしめているのは、相馬野馬追(そうまのまおい)という一大行事の存在である。江戸時代に現在の福島県浜通り北部(南相馬市を含む相馬双葉地方)を治めた相馬藩の旧領地を舞台に、毎年7月下旬の3日間にわたって開催される国の重要無形民俗文化財だ。総勢400騎の騎馬武者たちが街を練り歩く「お行列」、市内の雲雀ケ原祭場地で繰り広げられる甲冑競馬に神旗争奪戦。壮大な戦国絵巻と称されるこのイベントは、全国から多くの観光客を惹きつけ、感動させてきた。

相馬野馬追
相馬野馬追
相馬野馬追の様子。(写真提供:相馬野馬追執行委員会)

「でも、3日間見物して『すごかった』で終わりではなく、その背景にあるものをもっと知ってほしいんです」と、中澤さんは言う。自身も5年前、初めて野馬追を見て圧倒された。その後南相馬へ移住し、地域に根付く馬事文化を身近に見てきた。「野馬追の3日間のために残りの362日、馬の世話をしながら暮らす人々が大勢いる。そんな街の魅力をこそ伝えたい」というのだ。

「みなさん仕事に行く前に、餌をやり、運動させ、馬房の掃除をし、野馬追が近づけばもちろん練習も。そうやって騎馬武者一人が野馬追出場を果たすために、家族をはじめ周囲の全員がそれを支える。私はそこにすばらしさを感じています」

多様な層に向けて「馬」イベントを展開

中澤さんが事務局を務めるNPO法人相馬救援隊は、東日本大震災直後に南相馬市で活動を始めた団体だ。代表は旧相馬藩主である相馬家34代当主、相馬行胤(そうまみちたね)さん。団体名が示す通り、当初は被災者の生活支援や被災馬の救助・保護が中心だったという。その後、復興が進む中で地域活性化や文化継承、コミュニティ再生へと事業をシフト。現在は5頭のサラブレッドと2頭のポニーを所有し、地域のシンボル「馬」をテーマとした多彩な活動を展開している。

NPO法人相馬救援隊

その中心は、原則として毎週日曜午前の「馬とのふれあいオープンデー」だ。だれでも予約なしで馬事公苑を訪れて馬と触れ合える。ほかにも餌やりやブラッシングなどが体験できる「バックヤードツアー」、地元の小学生に野馬追の魅力を知ってもらう「のまおいアカデミーキャンプ」、馬との自然なコミュニケーションを重視する調教法「ホースマンシップ」の講習会など。近隣の町村のイベントに馬と一緒に参加協力することもある。子どもから大人、初心者から経験者まで対象は幅広い。

NPO法人相馬救援隊
相馬救援隊は、無人駅となったJR常磐線鹿島駅の見守り事業も受託。普段は男性スタッフが常駐、年に2回ほどはポニーが来て子どもたちと交流する。(写真提供:相馬救援隊)

そして、中澤さんがやりたかった相馬野馬追の「背景」を見せるという活動も、相馬救援隊の事業とは別に、首都圏の有志グループ「殿ナイト」の活動に現地コーディネーターとして協力する形で2022年夏から本格的に実現している。野馬追見学ツアーには、当日の観戦だけでなく騎馬武者出陣前の支度見学や地元住民との交流など組み込んだ。その後も、甲冑師訪問や乗馬体験などを楽しむツアーや「殿」と呼ぶ相馬行胤さんを囲む東京での食事会など、既に複数回のイベントを開催。これまで140人ほどが参加しており、リピーターも多いという。

「年に一度野馬追に来るだけでなく、こうした定期的な催しを通じて相馬ファンの輪を広げ、野馬追を知らない人にも興味を持ってもらいたい」という中澤さんたちの思いは、着実に実を結びつつあるようだ。

殿ナイト
2022年1月の殿ナイト主催交流会の様子。相馬行胤さんと一緒に神田明神で初詣をし、宴で語り合う人気イベント。(写真提供:殿ナイト)

キャリアカウンセラーから馬の世界へ

そんな中澤さん自身の生まれ育ちは岩手県盛岡市。そこで出会った夫の巧(こう)さんと2017年に結婚、まもなく広島に引っ越した。もともと競走馬育成の仕事をしていた巧さんが、広島で引退競走馬の「その後」を支援するプロジェクトに従事することになったのだ。それまでキャリアカウンセラーとして活躍してきた中澤さんは、この移住を機に馬の世界に脚を踏み入れることになった。

「盛岡を離れる前まで、私の人生に馬はいなかったんです。日々相談に来る若者の就職支援をしていました。でも広島行きが決まったこの機に違う世界を見てみようと思い、夫の仕事を手伝うようになって初めて馬に触りました」

中澤葉子(なかざわようこ)さん/NPO法人相馬救援隊

中澤夫妻は、その引退馬支援のプロジェクトを通じて相馬救援隊代表の相馬さんと知り合う。誘われるがまま南相馬へ出かけ、生まれて初めて相馬野馬追を見たのは2018年夏のことだった。

「とにかくホンモノ感がすごかった。馬に乗ったサムライが出てくるお祭りは他にもありますが、野馬追は時代劇みたいに歴史上の人物を演じるのではなく、騎馬武者たちはあくまで現在の自分自身。衣装も代々その家に伝わる本物です。圧巻でした」

そんな伝統文化を活かした地域振興事業を手伝ってほしい――。相馬さんから依頼を受けた夫妻は、その年末に南相馬へ移住。2019年1月から、巧さんは馬たちのリトレーニング(後述)を、葉子さんは団体事務局を担当するようになって現在に至る。

南相馬市小高区にある相馬小高神社
南相馬市小高区にある相馬小高神社。相馬野馬追には、旧相馬藩領の当時の行政区である5つの「郷」(宇多郷・北郷・中ノ郷・小高郷・標葉郷)が領内3つの妙見神社(相馬中村神社、相馬太田神社、相馬小高神社)から出陣する。

「かわいい」だけじゃない、馬の持つ力を生かしたい

移住5年目になる中澤さんは言う。

「『馬のまち』を標ぼうする自治体は少なくありませんが、南相馬はかなり特殊だと思います。(農耕など使役や競馬などの商業用ではなく)野馬追に出るためだけに、馬を家族の一員として飼っているお宅がこれほどあるなんて」

地域に約200頭いるというその馬たちは、ほとんどが競走を引退したサラブレッドだ。中澤さんによれば、日本では年間約7000頭の競走馬が生産される一方で5000頭ほどが引退するという。それらの馬を、乗馬クラブなどで一般の人を乗せられるよう調教しなおすのがリトレーニングである。相馬救援隊の5頭も元は競走馬で、今後も引き取り数を拡大していくとのこと。野馬追の継承自体が引退馬の活躍の場を維持することになるわけで、団体の活動は馬事文化の振興、担い手の育成など地域資源の活用を通して引退馬のセカンドキャリア問題の解決にもつながっているのだ。

中澤さんは、南相馬に来て本格的に馬に関わり始めてから、だんだんと「馬の持つすごい力」を感じるようになったという。その力を生かした新しい事業も進み始めている。

中澤葉子(なかざわようこ)さん/NPO法人相馬救援隊

「人とコミュニケーションできる馬には、ただ『かわいい』とか『癒される』とか以上の大きな力があります。馬と関わることで人は、精神的にも身体的にも非常に大きな効果を得られるのです。具体的には、馬を組み合わせた自然教育、馬を中心とした居場所づくりや生きがいづくり、馬とのコミュニケーションのなかで学びや気づきを得るきっかけが提供できたらいいなと考えていて。そんな活動を通じて性別・年齢・障害の有無など関係なくだれもが生きやすい社会が目指せたらいいですね。医療や福祉の従事者との関係構築も含め、いろいろ勉強しながら事業を進めています」

そういえばキャリアカウンセラーという以前の職業で心理学も学んだはずでは、と問うと、「そうなんです。やっと今までやってきたことを生かして馬と関われるようになった。ようやく楽しくなってきました」。そう言って中澤さんは顔をほころばせた。相馬救援隊と中澤さんたちのさらなる活躍に期待が集まる。

中澤葉子(なかざわようこ)さん/NPO法人相馬救援隊

2023年5月取材

文:中川雅美(良文工房) 写真:中村幸稚 Words:Masami NAKAGAWA  Photography:Yukio NAKAMURA


PROFILE
中澤葉子(なかざわようこ)さん/NPO法人相馬救援隊 事務局
岩手県盛岡市生まれ。学生時代は児童教育を学ぶ。キャリアコンサルタント、産業カウンセラーの資格を有し、長年キャリアカウンセラーとして若者の就職支援・キャリア支援に従事した後、2017年に広島県へ移住。夫とともに引退競走馬の支援プロジェクトに関わり始める。2018年末に南相馬市へ移住、現職に就任。事務方の中心として業務にあたるほか、馬と人と自然との共生を軸に新たな事業を構築中。

NPO法人 相馬救援隊
代表▶相馬行胤
住所▶福島県南相馬市原町区仲町1丁目85(厩舎は南相馬市馬事公苑内)
TEL▶0244-26-8801
Facebook▶ https://www.facebook.com/sohma.aid/
Instagram▶ https://www.instagram.com/sart34org/
有志グループ「殿ナイト」公式サイト▶ https://tono-knights.jp