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オリーブの畑が教えてくれたこと

オリーブの畑が教えてくれたこと

いわきサンシャインマラソンでは入賞者にオリーブ冠のプレゼントが名物の1つとなっている。そのオリーブ冠は、いわきでオリーブの栽培をしている会社が募集したボランティアの手で作られたものだ。いわきでのオリーブの栽培は、広大な耕作放棄地をオリーブの産地として蘇らせていこうという有志たちの想いからはじまった。

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オリーブの畑に、笑い声がこだまする

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いわき駅から5分ほど車を走らせていくと、川を抱く平野の向こうから吹く風に葉を揺らすオリーブの畑が見えてくる。オリーブの畑では笑い声があがり、人々が集い茶葉の収穫をおこなっていた。オリーブはモクセイ科の常緑高木で、地中海沿岸部を中心に5000~6000年前から栽培されてきた人と縁の深い植物である。日本にオリーブの木が入ってきたのは文久2年と言われ、その後明治にかけて日本各地で栽培試験が開始され、成功したのが、温暖で気候条件が地中海に近い小豆島だったのだそうだ。そのオリーブをいわきに持ち込み“いわきをオリーブの一大産地にしよう“とプロジェクトを仕掛けた猛者がいる。いわきで生まれ育った木田源泰さんだ。「東北での栽培はうまくいくわけがない」と言われる中、まずはいわきでの栽培を成功へと導き、続いてオリーブの実や油のみならず葉っぱにも注目し、オリーブ関連商品の企画製品化を精力的に行なってきた。

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夢の挫折、仕事をしながら各地を見て歩く

専業農家の家に生まれ育った木田さん。中学、高校と学校に通いながらも、日常の一部として家の仕事を手伝っていた。とはいえ実家を継ぐつもりは無く、進学する大学として選んだのは東京にある大学の経済学部。ただ、大学の学費を稼ぐため、夏休みにはいわきに戻り、野菜の収穫、販売に精を出した。そんな木田さんに、ある日、担当教授が声をかけた。「有機農業に興味ないか?」時代は高度成長期。経済が右肩上がりとなっていく一方で、有害物質がもたらす汚染の問題も表面化してくる只中。有吉佐和子の『複合汚染』やレイチェル・カーンの『沈黙の春』なども読んでいた木田さんにとって有機農業は希望に思えた。教授と共に、千葉にある有機農業の農家へ通うようになった。

「有機農業の黎明期だったんです。新しい取り組みというところにも惹かれた。これを地元いわきに持ちこみたい。そう思うようになったんです」

大学を卒業した木田さんはさっそくUターン。有機農業はこれから注目されるはずだと信じ、いわきでの有機農業の実現に向けて奔走し始めた。しかし、そんな木田さんに市場が条件を出した。「5人以上の有機農業の仲間を集められるなら、有機栽培で育てた野菜を買ってもいい」。まだ有機農業の黎明期。リスクある取り組みに興味を示す農家はいなかった。完全な挫折。木田さんは一転、広告業界で働き始めることとなった。

耕作放棄地に「園芸療法」と「オリーブ」で変革を

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「49歳の時ですね。会社を辞めて“園芸療法”を主軸とした農業を始めました。きっかけは、園芸療法の研究を大学で指定してきた磐城高校の先輩が地元に戻ってきたこと。勉強させてもらいながらのスタートでした」

広告の仕事をしながらも、県内外の各地で農家と見れば話を聞きに足を運んだ。農業への道を諦めたわけではなかった。各地で目にする耕作放棄地を見るにつけ、なんとかしたいという気持ちも芽生え、いつか農業で独立したいという夢を抱き続けていた。

ある時、高校の先輩が業を通じたケアを研究していて、それが「園芸療法」というものだと聞いた。実父が先天性の難聴を抱え、障がいというものが身近にある環境で育ってきたことから、やってみたいという気持ちが芽生えた。「園芸療法」はベトナムの帰還兵を対象に効果をあげた療法としても知られ、精神的なケアだけではなく身体的なケアのあり方も含めた療養の理論として研究されてきた方法である。障がいのある方が働きながら元気になっていく、そんな畑を作りたいと思った。

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「新しい作物じゃないと農業で突破していくことはできない。今栽培されている作物を作るのでは根本的解決にならない。そこで着目したのが「オリーブ」だったんです」

そこで、現状突破していくために何の作物を作るかが問題となった。木田さんが目指すのは自分の畑ばかりではなく、いわきで増え続ける耕作放棄地の解消だ。そこで閃いたのが「オリーブ」の栽培だった。東北での栽培は困難とされているが、いわきは日照量は日本有数。気温は少し低いが許容範囲ではないか?木田さんの脳裏に、放棄された農地が塗り替えられ、スペインのように見渡すばかりにオリーブの畑が広がる光景が浮かんだ。

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賛同してくれる仲間を集め、2009年の秋にNPO法人いわきオリーブプロジェクトという団体を設立。メンバーは60名以上にのぼった。2010年の秋にオリーブの苗を植え、テスト栽培を開始。1月、冬を無事に超えた。2月、大丈夫まだ育っている。3月、よし、いわきだったらできる。そう確信した矢先、東日本大震災と原発事故が起きた。

「いわきでの栽培ができるとようやく証明された瞬間に、全部吹っ飛んだ。メンバーも激減。そんな時に、「やりましょうよ」と言ってくれたのが、震災復興ボランテイアで来てくれていた人たちでした。震災復興のシンボルとして一緒にオリーブを植えてくれた。だからこのオリーブは、みんなで作ってきたオリーブなんです。」

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農地に人が巡ると、畑も人も回復していく

ボランティアの人たちの助けもあり、いわきのオリーブは震災復興のシンボルともなっていった。オリーブの木々が大地に根を張り、収穫量も増えていく中で、オリーブの実や油だけではなく、葉っぱを使ったお茶やパスタなどの新しい製品開発や、東京といわきを繋ぐような広域にまたがる企画も活発に行われるようになっていった。お茶やパスタのセットもギフトとして定評を得、いわきならではの燻製めひかりのオリーブオイル漬けは人気投票で選ばれ、サンシャインマラソンでのオリーブ冠が話題となるなど、いわきの産物としての認知も広がってきている。いわきのオリーブオイルは外国のオリーブオイルに比べてさっぱりとした味わいで和食との相性もとても良い、と、東北のオリーブの味の新たな面も注目されつつある。

オリーブの畑には、ボランティアだけでなく、フリースクールの子どもたちもやってくる。さまざまな問題を抱えた子どもたちもたった数時間で表情がかわり、ここで過ごすうちに明るく笑うようになってくるのだそうだ。それこそが「園芸療法」の効果だ。畑に何千人も受け入れ、その人たちの変化を目の当たりにしてきた木田さんの頭の中に、また新たな想いが生まれた。

「農作業はそれそれの役割を自然と作り出し、コミュニケーションの原型を作り出してくれるんですね。子どもたちにとっては、土に触れるうちに微生物がもたらしてくれる効果もあります。問題を抱える不登校の子たち、会社で鬱になってしまった大人も、畑で作業に関わることで回復する可能性がある。それは農地保全にもつながること。人々と農地を繋ぐ仕組みを作れないだろうかと最近考えるんです」

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オリーブの畑が10年かけて教えてくれたこと

そして「農園・援・縁・円大学」という発想で、畑の価値を課題解決型に変えていくことで人々と農地を守ろうとしている。生産の場であるだけではなく、人の心や体、人と人の関係性を回復していく時間を作り、かつての社会が持っていた“結”という繋がりを復活させ、貨幣では得られない豊かさを紡ぐ。それは災害時のライフラインともなるものだ。

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「人と農地が繋がること、それは、もともとあった“までい”や“結” の文化が持つ智恵でもある。オリーブが10年かけて私に教えてくれたことなんです」

オリーブの畑が増えるにつれ、人々の笑顔も増えていく。木田さんの新たなプロジェクトは、地域を巻き込みながら、はじまっている。

取材:2023年6月

取材・文:藤城光 写真:鈴木穣蔵 Words:Hikari FUJISHIRO Photography:Jouji SUZUKI


PROFILE
木田源泰(きだもとやす)さん いわきオリーブ株式会社代表取締役社長、北のオリーブ合同会社 代表
福島県いわき市生まれ。増え続ける耕作放棄地問題に対し、いわきをオリーブの一大産地とすることを目指し、NPOいわきオリーブプロジェクトを立ち上げ、難しいとされていたオリーブ栽培を試み2010年に成功。その後設立したいわきオリーブ株式会社が事業を引き継ぎ、オリーブオイル、お茶やお菓子、パスタなど、オリーブ関連の商品を開発・販売している。また、「園芸療法」を学んだことから、様々な困難を抱える人々が畑作業を通して心身を癒す可能性があることを実感し、人と畑を繋ぐ「農園大学」を構想。浜通りの農業の活性化と人々の心身の健康の増進に向け様々な取り組みを続けている。


いわきオリーブ株式会社
住所〒979-8026福島県いわき市平権現塚31-5
営業時間10:00~17:00
電話0246-23-3447


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