数ヶ月先まで予約殺到! 1パック830円の「日本一やさしい卵」
1パック830円。卵の値上がりが話題だが、それでも全国から注文が寄せられ、数ヶ月先まで予約でいっぱい。そんな噂を聞きつけて、相馬市へ向かった。のどかな田園風景を車で走らせ到着したのは、ビニールハウスを改造してつくった鶏舎。中に入ると、ニワトリたちが飛んだり、跳ねたり、自由に駆け回っていた。ここで産まれる卵「相馬ミルキーエッグ」は、「日本でいちばんやさしい卵」とも呼ばれている。大野村農園代表の菊地将兵さんに話を伺った。
季節とともに味が変わる卵
「うちは、人間の健康に良いと思うことはニワトリにもしているんです。エサはすべて手作り。正直、手間はめちゃくちゃかかるけど、ここで生まれる卵は日本一ですよ」
そう屈託のない笑顔で迎えてくれたのは、大野村農園代表の菊地将兵さん。日焼けした肌に金髪、「農家には見えないでしょ」と笑う菊地さんは、一瞬で人を魅了してしまうような人柄だ。
大野村農園で飼育しているのは純国産鶏の「岡崎おうはん」。菊地さんは地域に根ざした循環型の養鶏にこだわり、ニワトリたちを平飼いで育てている。
「地域の恵みをいただいてエサにしているので、うちの卵は一年を通して色も味も変わるんです。季節によって収穫できる旬の野菜も、獲れる魚も変わりますよね。卵の味が変わることだって、本来は自然なことなんです」
エサは、地域の恵みを「卵」と物々交換で
「これからエサを煮込むんですけど、見て行きますか?」
そうやって案内されたのは、鶏舎の奥にあるビニールハウス。すると、奥さんの陽子さんが軽トラにバケツいっぱいの魚のアラを乗せて届けてくれた。
アラを軽く水で流し、大きな寸胴に入れる。そこに、袋いっぱいの米をザザザーっと流し込み、薪に火をつけて強火でぐつぐつと煮込む。ほどなくして、食欲をそそる香りがビニールハウスいっぱいに広がった。
相馬市は、漁業が盛んな港町。市場や魚屋では、魚をおろした後に残る頭や尾などのアラが大量に出る。栄養価が高く旨みもあるが、商品としての価値はない。それを菊地さんが「捨てるならください!」と卵と物々交換をして、惜しげもなくニワトリの飼料としている。
米はひび割れたり欠けたりして出荷できないものを農家から、薪は古くなった防風林を伐採して捨て場に困っていた地域の人から。どんなものも変幻自在に卵と物々交換してしまう。誰かにとって不要なものも、宝の山だ。大野村農園では、地域の温かい交流と循環に支えられながら養鶏を行っている。
ニワトリの体調に合わせて飲み水も、唐辛子やニンニクを混ぜて与えているそうだ。ニワトリたちはキャベツや青草も大好きで、エサのためだけの草畑もある。「軽トラ1台分を1日で食っちゃうんで、毎日大変ですよ」と、菊地さんは顔をほころばせた。
日本一安全な食べ物を作ってやる
菊地さんが相馬市で農業をはじめたのは2011年5月。東日本大震災から2ヶ月後のことだ。
都内で暮らしていた菊地さんは、いつか故郷で農業がしたいと全国各地の農家に住み込みをしながら農業を学んでいた。そんな折に起きたのが、あの震災だった。
生まれ育った故郷は地震や津波の被害に加え、福島第一原子力発電所の事故により見えない恐怖におびやかされた。相馬市は原発から30km圏外にあり、幸い直接的な被害は免れたが、風評被害は避けようがなかった。
「こんな時だからこそ相馬を農業で盛り上げたい」という菊地さんに、周囲は大反対。役所へ「新規就農がしたい」と申請に行くと、「シュウノウ……?」と聞き返された。職員の頭に「就農」の文字が浮かばないほど、震災直後にこの土地で農業をはじめることは想定外のことだった。
しかし、25歳の青年の決断は揺るがず、祖母から借りた一枚の畑を耕し続けた。アルバイトをしながら野菜を育て、なんとか生計を立てたそうだ。
菊地さんは、手探りで試行錯誤を重ね、収穫した野菜をすべて放射能物質検査に出し「安全」というお墨付きをもらった。それでも、「福島県産」「相馬市産」というだけで売れない日々が続いた。悔しかった。だからこそ、「日本一安全な食べ物をここから作ってやる」と奮い立った。
完全オーガニックな卵を目指して
ブロッコリーやキャベツなど20種類以上の野菜を育て、農業が軌道に乗りはじめた2015年。菊地さんは新たに養鶏に踏み出した。きっかけは、子どもが生まれたこと。毎日食べるものだからこそ「日本一安全な卵を食べさせたい」という想いが芽生えたのだ。
養鶏をはじめるために手にとった『自然卵養鶏法』という一冊の本。そこには、<空気><日光><水><大地><緑草>の自然の恵みを十分に与える飼育管理方法が書かれていた。人間の味覚に合わせて育てたり、抗生物質を添加したりせず、ニワトリたちが元気に暮らせる環境で養鶏をする。菊地さんは、完全オーガニックな卵を作ることを目指した。
「一般的な養鶏場では成長したニワトリを買ってきて卵を産ませるのですが、うちはヒナから育てているので卵を産むまでに半年かかります。エサには気を使うし、ヒナを狙う獣から守らなければいけないので、長い道のりです。はじめて卵が床に転がっていたときは『誰だ、ここにふざけて置いたのはー!』って言っちゃったくらい、信じられなかったですもん(笑)」
高価でも数ヶ月先まで予約でいっぱいに
卵は「相馬ミルキーエッグ」と名付け、1パック10個入り770円で販売した。周りからは「そんな高い卵が売れるわけない!」と言われたが、メディアに出て想いを伝えると全国から注文が殺到。今でも定期購入してくれている顧客が多く、数ヶ月先まで予約でいっぱいだ。
震災後、「相馬のものはうちの子に食べさせられない」と言われた日々があった。でも今は、地元の助産院の食事にも使われるほど、相馬ミルキーエッグは信頼を得ている。当初、ブランド名に「相馬」の文字を入れることも周囲からは反対された。しかし、菊地さんはこの土地の誇りを失わないために「絶対に入れたかった」と語気を強める。
現在、卵は1パック830円で販売されている。売り上げの一部を、母子家庭や父子家庭・施設の子どもたちへ食べ物として寄付するためだ。自身が母子家庭で育った経験から、菊地さんは貧困問題の解決もライフワークの1つとしている。
やさしさの循環で生み出される卵
のびのびと育ったニワトリたちの卵は、弾力があり鮮度抜群。抗生物質や添加物を使わず、自然由来のエサで育てているため、安心・安全。卵かけごでいただくと、ふわっとやさしい味が口の中に広がった。
「俺は人間にとってのおいしさは求めていません。一般的においしいとされる卵は、飼料や添加物でいくらでも調整できてしまうんです。うちの卵は地元のじいちゃん、ばあちゃんが食べると『懐かしい味がする』って言ってくれます。昔、庭先でニワトリを飼っていたときの卵の味だって。この卵は、ここでしか作れない相馬の恵みの味がするんです」
100羽からはじめた養鶏は、現在700羽にまで増えた。しかし、どんなに卵の注文が来てもこれ以上ニワトリを増やす考えはないそうだ。1羽1羽の体調に目が行き届かなくなるうえ、地域循環から外れてしまうためだ。菊地さんはあくまで、自然の営みの中で作る卵にこだわる。
日本で一番やさしい卵。それは、自然を想うやさしさ、動物を大切に扱うやさしさ、食べる人を想うやさしさ、困っている誰かを想うやさしさ、物々交換が成り立つ地域のやさしさがギュッと詰まっている卵だった。
取材:2023年6月
文:奥村サヤ 写真:中島悠二 Words:Saya OOKUMURA Photography:Yuji NAKAJIMA
PROFILE
菊地将兵(きくちしょうへい)さん 大野村農園。相馬市生まれ。母子家庭で育ち、幼いころは祖父・祖母の農作業を手伝う日常を過ごした。貧困問題に興味を持ち、ホームレス支援をきっかけに、農家の偉大さを感じて本格的に農業の道へ。全国各地の農園に住み込みで働きながらノウハウを習得。2011年東日本大震災を機に地元にUターンし、大野村農園を設立。年間20種ほどの野菜を栽培するほか、地元産飼料を使った養鶏で「相馬ミルキーエッグ」を生産する。2023年「ゲストハウス&こども食堂 アンブレラ」をオープン。貧困家庭や生きづらさを抱えた若者支援にも力を入れている。
大野村農園HP ▶︎ https://www.oonomuranouen.com/
大野村農園Facebook ▶︎ https://www.facebook.com/oonomura.nouen