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浜通りから世界とつながる経験を 子供たちに提供したい

浜通りから世界とつながる経験を 子供たちに提供したい

「アメリカ留学で言語も価値観も肌の色も異なる仲間と交流して自分らしさに気づきました。自分が体験した学びや気づきを、今度は下の世代にも経験してもらえる教育の場をつくりたいと思ったんです」。野地雄太さん27歳。留学をきっかけに多様性を肌で感じる体験をしたことで、自身も常識にとらわれない生き方で人生を切り拓こうとしている。

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子供たちの見える世界を広げてあげたい

野地さんは、生まれ育った福島で異文化交流や言語学習を通じて、子どもたちが見える世界を広げるサポートを行う「Beyond Lab(ビヨンドラボ)」を設立し、日本の子どもたちと海外出身者らが交流できる教育プログラムを企画し主催するなど、多種多様な価値観に触れることで視野を広げるための活動をしている。

自身の留学経験を「下の世代に伝えたい」と繰り返し口にする。それは子どもの時に価値観に縛られて息苦しさを感じた経験があったからのようだ。

その他大勢の中に埋もれたくなかった

小学生のころは、釣りや自然探検が大好きな少年だった。しかし、中学生になると一変。校則は厳しく、荒れた上級生もいて先生たちは常にピリピリしていた。はみ出した行動は厳しく注意される。その環境に息苦しさを感じつつ、学級委員長も務めて「先生が期待することをやる子」になった。

野地雄太(のじゆうた)さん 株式会社Beyond Lab(ビヨンドラボ)代表取締役CEO

学校の価値観に順応し、偏差値に縛られて「とりあえず進学校に行こう」と流された。けれど、学校という「ハコ」は野地さんにとってあまりにも狭かった。

「閉じられた環境でもっと外の世界を知りたいというもどかしさを抱える子に、その機会を届けたいと思うようになったのは、そんな経験があったからだと思います」

外の世界を意識するようになったのは高校生のとき。震災復興プロジェクトに関わり、海外経験豊かな人たちと出会ったことで刺激を受けた。高校3年の春には、アメリカからの大学生の講演を聞いた。海外の大学は柔軟性があってチャレンジしやすい環境があると知り胸が躍った。

同級生たちは国内の大学を目指すのが当たり前だった中、野地さんは世界に思いを馳せた。「アメリカの大学に進学する」。それは当たり前の枠からはみ出す決心だった。先生も親も反対したが、なんとか理解してもらった。語学力は海外進学を目指す全国の仲間と一緒にオンライン塾で磨いた。

「その他大勢の中に埋もれたくなかったんです。僕が海外に進学することで後輩たちに人生の選択肢はたくさんあるんだってことを示したかったというのもありますね」

違いを受け入れた先に新しい世界が見えてくると気づいた

留学先では英語もほとんど話せず、不安や孤独も感じたが、アメリカ人はもちろん、エクアドルや韓国から来た留学生のみんなで勉強会を開いたり、ルームメートに添削してもらったりして学び合った。「自分がマイノリティになって多様な国籍や文化と接する中で自分らしさを考えたり、違いを受け入れたりする大切さを知りました。考え方の違う仲間と接することで新しい世界が見えてくると気づけたんです」

感じたことは他にもある。

「アメリカ人にも色々な性格の人がいて、当たり前ですけど、陽気でフランクな人ばかりじゃないんです。僕にとってはそれは発見でした。以来、人種や国籍で人を見るのではなく、その人の個性を見られるようになりました。色々な国の人に出会って価値観が変わりましたね」

野地雄太(のじゆうた)さん 株式会社Beyond Lab(ビヨンドラボ)代表取締役CEO

日米の大学生が議論する国際会議にも参加した。そこで日本の大学生から「福島って住める地域なの?」という声を聞いた。「日本人でも福島の現状が分かっていない」。そう気付いて状況を変えたいと考えた野地さんは、大学を休学して一時帰国し、学生団体を立ち上げた。首都圏・関西の学生向けに「スタディーツアー」を実施。福島の住民とつないで「今の福島」を肌で感じてもらい、継続的に関わりを持ってもらうきっかけをつくった。

留学体験プログラムを若い世代に届けたい

休学中は多くの起業家と出会って刺激を受けたという。「スタディーツアー」はもちろん、バックパックで訪れた東南アジアやアフリカでも現地で活動している社会起業家からも話を聞き、次第に憧れるように。それで社会問題をビジネスで解決する起業家になりたいと決意した。留学前は国際機関で働く夢を描いていたが、たくさんの出会いや経験によって、枠にとらわれない将来の選択肢を見つけていったそう。

「人との出会いや経験から、自然と大きい組織の一部分で働くより、小さい組織でも全体を見られる仕事がしたいと思うようになっていきました。それと東京のような大きな市場でやるより、地域に密着して行政や民間、NPOといったステークホルダーと一緒に仕事をした方が社会の役割や仕組みが見えてくるかもしれないと思ったんです」

大学卒業後は、若手起業家を育成するプログラムに申し込み、その縁で相馬市の広告代理店に就職。県産品のブランディングやイベント企画などして働きながら、育成プログラムが終わった後の将来も考えるようになった。

「これまでの留学経験を踏まえ留学体験プログラムを若い世代に届けたい」

それを実現するため、福島県浜通りの若手起業家を支援する「HAMADOORIフェニックスプロジェクト」に応募。アイデアは採択され、2022年2月に「Beyond Lab」を立ち上げた。創業の地に浪江町を選んだ理由は。

「学生時代に行ったスタディーツアーで町の人たちと繋がりができていたというのがきっかけです。面白い人たちがいて、フロンティア精神に溢れていて、すでに活躍している人も多かったことから、自分もその中でやっていきたいと強く惹かれました。行政や町の人がすごくチャレンジングで前向きで、教育環境がまだ整っていないという面でも伸びしろがある地域だと思いました」

キャンプ型プログラムで留学体験を提供

「Beyond Lab」では、異文化交流と自然体験を合わせたイベント「ビヨンドキャンプ」を開催している。初開催は2022年のゴールデンウイーク。中高生と海外からの留学生・海外に渡った日本人がキャンプ場に集まって数日間共同生活をし、価値観や常識を打ち破る体験を提供した。プログラムの内容はフィールドワークやキャンプファイヤー、英語でのチームプレゼンテーションなど。すでに5回開催し、毎回10〜30人に留学体験を届けてきた。

「最初は恥ずかしがっていた子が、最終日には自分から話し掛ける姿も見られました。中には実際に『留学したい』と視野を広げた子もいて、やってよかったなって思います。自分が高校時代にやりたかった経験を提供できているのかな」

中には、海外の人と話す心理的ハードルが下がって英語が楽しいと思えるようになったという声や、相手のことを深く知れる体験ができたという声もあった。

多様性に触れることが当たり前の社会になってほしい

野地雄太(のじゆうた)さん 株式会社Beyond Lab(ビヨンドラボ)代表取締役CEO

野地さんは、ビヨンドキャンプ以外にも、新たなターゲットとして大学生・社会人にも向けた体験型プログラム、旅行代理店と組んでのツアーパッケージ、実際の留学アドバイスをするなど次の挑戦にも目を向けている。

「自分の会社を大きくしていきたいというよりは、多様性に触れる教育プログラムが広がっていてほしいと思っています。参加した中高生が社会人になって、その人たちがまた下の世代に教育プログラムを提供して広がって、枠にハマらない生き方が当たり前の社会になってほしいです」

不確実性が高く先が見えない現代。そんな今を野地さんは、自分の意志で自由に突き進むヒントを次の世代に伝えていく。

取材:2023年5月

文・写真:西山将弘 Words & Photograph:Masahiro NISHIYAMA


PROFILE
野地雄太(のじゆうた)さん 株式会社Beyond Lab(ビヨンドラボ)代表取締役CEO。1995年、福島市生まれ。福島高、米ミネソタ大学College of Liberal Arts(社会学専攻)卒業。2021年4月、起業家育成プログラム「VENTURE FOR JAPAN」を通じて相馬市の広告代理店に就職。福島県浜通りの若手起業家を支援する「HAMADOORIフェニックスプロジェクト」でアイデアが採択され、2022年2月に「Beyond Lab」を設立。中高生を対象に自然活動も兼ねた留学体験プログラム「ビヨンドキャンプ」を企画・開催している。