パラリンピック界のレジェンドが目指す日本一元気な街
2021年に開催されたパラリンピック。自転車競技<自転車・ロード 女子個人ロードタイムトライアル(運動機能障害C1~3) と女子個人ロードレース(運動機能障害C1~3)>で杉浦佳子選手が2つの金メダルを獲得、さらに日本最年長記録も更新したことは大きなニュースとなった。
その代表監督を務めたのがいわき在住、自転車文化発信・交流拠点『NORERU?』の代表である権丈泰巳さんだ。
自分の力で風を切るとみんな笑顔になるんです
取材をさせていただいたのは5月。イタリアで開催されていた2023年W杯の遠征から戻られた翌日だった。時差ぼけも激しいだろうタイミングで訪ねるのは申し訳なく、日程の調整を願い出たが、「朝から別件があって出かけているので大丈夫ですよ」とのこと。取材当日に指定された場所に向かうと、ご高齢の方々と思しき10数人の人だかりができている。そこへ権丈さんがタンデム用自転車の後部座席に目の不自由な高齢女性を乗せて戻ってきた。「どうでしたかー?」と権丈さん。「もうね、最高に気持ちいわ、でもちょっと疲れちゃった」とタンデムの女性。もちろん満面に笑みだ。そんなことを話しながら、もう身体は次に待つ男性へ。
「長くパラサイクリストたちをサポートしてきていると、障害をもつ方々がとてもポジティブでアグレッシブだということに気付かされます。一方で、身体はどこも悪くないのに、筋力の衰えなどを理由にして家から出ない方々もいる。そんなの勿体無いじゃないですか。パラサイクリングの種目にタンデムという競技があります。これは視力に障害のある方と健常者がコンビになって一緒に漕ぐという競技ですが、目の代わりになってくれる誰かがいれば、目の悪い方でも競技に参加できるということの例じゃないですか」
「ひとりでは無理でも、諦める必要はない」と権丈さん。
「健常者でも年配の方や、筋力・体力に自信がない人は電動アシストというサポートを得たっていいと思うんです。とにかく風を切って走ることからはじめてみることです」
片足がなくても、腕だけでこんなに早く走れるなんて
「僕がパラサイクリングと出会ったのは学生の時。タンデム競技で視覚障害の人を乗せて自分が走るという、ボランティアをしたことがきっかけでした。そこから数年後、競技からは少し身をひいて実家の福岡に帰っていた時に片足の膝下がない男の子から“自転車に乗りたい”と言われ、一緒に走ったり、教えたりしていたんです。そのうち、協会の人と接点ができ、国際大会までスタッフとして同行することになりました。チェコで開催された大会だったのですが、そこですごい衝撃を受けました。片腕でこんなに走れちゃうの? 片足がなくてもこんなに走れるんだ! と。そこにあるのはアスリートとしての意識の高さと競技としての面白さでした」
以来、日本のパラサイクリングの第一線で活躍されている権丈さんだが、もっと広く競技そのものを知ってもらうためにも、課題は山積しているそうだ。「だからいっそ主にヨーロッパで開催されているパラサイクルのW杯を日本で開催してはどうかと連盟に働きかけて、手も挙げちゃいました(笑)<5月取材時点>」とのこと。
それにしてもなぜパラサイクリング連盟の事務局をいわきに移し、自身も移住までして、いわきなのだろうか。
いわきにはたくさんの“惜しい”があることも魅力でした
「実は本当に偶然の連なりだったんです。もちろんこの土地のポテンシャルも十分に考慮した上ではありますが。そもそも土地として平坦な平野部分と急峻ではないが適度にアップダウンの山が隣接してあり、さらに東日本大震災からの復興を象徴するフラットなサイクリングロード「いわき七浜海道」がある。実は市内の中央に競輪場があるという側面や、スポーツを通じたまちづくりに力を入れる市の取り組みなどに可能性を感じたことは確かです」
地形的な要因はもちろん、行政からのいわきへの移転アプローチなど、そのきっかけは幾重もの偶然にあった。同時に、いわきにはハードはあるがソフトがまったく追いついていないことも見えてきて、そこに自分が参加する意味があるように思えたのだそう。
『NORERU?』はあくまでも起点でしかありません
日本パラサイクリング連盟の事務局機能を担い、権丈さんが代表を務める自転車の複合サービス拠点『NORERU?』には最新のロードバイクから前後タンデムライド用の自転車、足の不自由な方を乗せることができるフロント2輪に電動アシストが備わった3輪自転車まで、あらゆるタイプの自転車が揃う。
「ここに来ていただければ、誰もが自転車に乗って移動する喜びをあらためて感じていただけます。ご年配の方がいらして、電動アシスト付き自転車をお借りいただき、お孫さんと出かけられるなんてことも見受けられます。もちろん戻ってこられると、みなさん必ず笑顔です」
それでも権丈さんにとって『NORERU?』は自転車にこだわらない「箱」だという。それは取材の前日もN響メンバーによるミニ演奏会が開かれ、市内外から大勢の方々が美しい音色を楽しみに『NORERU?』にやってきているのを見ても明らかだ。
そもそも誰を笑顔にしたいのか
いわきに移住してパラサイクリング連盟の拠点とすると同時に、サイクルツーリズムのような活動をイメージしていたというが、ふと気付いたことがあるそう。
「そもそもそれって、誰を笑顔にするのか」
そこから意識は外に向けてだけでなく、自転車を楽しいと思える土壌作りにも意識を向けるようになった。確かに『NORERU?』には<自転車文化発信・交流拠点>というコピーが掲げられている。
「2021年の春頃には遠征もなくなってしまったから、この時間を使ってあらためて自分たちがここにいる意味を振り返り、企画をつくりました。ちょうど市内に自転車屋さんが見当たらなかったので、補助輪外し教室や、初心者教室など。街を知りながらゆっくり走るイベントから、競輪場をみんなで走ってみたりもしましたね」
「お年寄りや障害のある人たちでも元気な街」を自転車を通してつくることが『NORERU?』と自分の役割だと権丈さん。
自転車はあくまで笑顔と元気をつくる手段です
「NORERU?は自転車そのものに出会う場所になってもらえればいいんです。そのためにプロフェッショナルによるメンテナンスサービスが受けられころはとても意味がある。人が集まるだけでなく、街の機能になれますから。出張NORERU?のようなサービスも積極的に加えていきたいと計画中です。まずは街の人たちから必要とされる場所であることが大事なんですよね」
「一方で“元気な街”には若者の力も必ず必要です。そのために『NORERU?』では学生のインターンの受け入れも行っています。加えて、自転車競技を通じて明治大学、日体大、日大など、自転車部の合宿を組んでもらるような取り組みも進んでいます。」
自転車に乗ることが目的ではない。自転車はあくまでも笑顔と元気をつくる手段なのだということが、権丈さんのお話を伺っているとよくわかる。とはいえ、その知見を活かした自転車イベントへの参加や後進への協力も惜しまない。6月に開催された『BIKE&CAMP』のイベントでのタンデムライド体験サービスも好評だった。県や地域の期待もあり、年内には自転車のイベントが複数控えている。
「2026年のW杯。もしかしたらいわき開催になるかも。街の人が笑顔になってくれるなら、働きかけてみたいと思っているんです。」
2023年5月取材
文:前田陽一郎 写真:高柳健
PROFEILE
権丈 泰巳(けんじょう たいし) いわき市在住(福岡県福岡市生まれ)。中学生のときにツール・ド・フランスに魅了されたことがきっかけで、ロードバイクの世界へ。日本大学に進学し、選手として活動。卒業後パラサイクリングの日本代表監督に就任。2004年アテネ~2016年リオまでパラリンピックのコーチ・監督を歴任し、現職は、日本パラサイクリング連盟専務理事。2019年からは日本パラサイクリング連盟の所在地を福島県いわき市に移すとともに、自転車によるいわき市の活性化活動にも従事している。
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