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「ただいま」と帰ってこられる場所に 夢のゲストハウスをオープンへ

「ただいま」と帰ってこられる場所に 夢のゲストハウスをオープンへ

「自然の風景に癒される」と人気のいわき市田人町にある古民家カフェ「HITO‐TABI」(ヒトタビ)。2019年にオープンし、田人町に移住した地域おこし協力隊が地域の人々と一緒に作り上げた温もりのある空間で、週末は満席になるほどのにぎわいをみせる。住民の憩いの場にもなっているこの古民家カフェに、今度は新たにゲストハウスがオープンするという。その担い手となるのが、4月に一凛の花株式会社を設立した紺野琴水さんだ。協力隊として2年半勤め、任期終了後に新しい道を歩き始めた紺野さんに話を伺った。

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旅の最後にたどり着いた私の居場所

「はじめまして紺野です。結婚して苗字が変わったばかりで……」

少しはにかんだ様子で築150年の古民家で迎えてくれた紺野さんは「活動的」「エネルギッシュ」という言葉がよく似合う、明るい笑顔が印象的な女性。聞けば、今年2月にいわき出身の男性と結婚したばかりという。

旅行が趣味で、10代から東南アジアの国々や中国、アメリカと国内外問わずさまざまな場所を旅してきた。そんな紺野さんが受験や就活、新型コロナ禍による環境の変化と数々の試練を乗り越え20代の旅の最後にたどり着いたのが、ここ田人町だ。

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世界と日本の架け橋になりたい

神奈川県出身の紺野さん。小学生のころ父の仕事の都合で一時、香港に住んだことから、海外の異文化に心ひかれるようになった。学生時代は国際ボランティアのサークルに入り、ラオスで教育支援のボランティア活動に取り組んだことも。宿も行先も決めない自由なスタイルの旅を好み、バックパック1つで東南アジアを中心にさまざまな国と地域を旅した。

子どものころに描いた「世界と日本の架け橋になりたい」という夢を叶え、就職先は国内最大手の航空会社JALへ。順風満帆の人生に見える紺野さんだが、10代後半から20歳前後にかけては苦労の連続だったという。

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「まず、大学受験に失敗しました。志望校に2度落ちて大学進学をあきらめ、専門学校へ行きましたが、『こんなにがんばったのに』という気持ちが募り、周りがうらやましかった。うまくいかないのを周りのせいにしたりして、当時は両親ともぎくしゃくしていました」

就職も決して楽ではなかった。30社中28社に落ちて、29社目、ようやく採用が決まった。「空港の顔」といわれるグランドスタッフの職につき、休暇は会社の福利厚生を使って国内外を旅するなど、充実した社会人生活を送れるかに思えたその矢先だった。約1年後の2020年、今度は新型コロナウィルスが世界の様子を一変させた。

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「コロナが拡大して国際線がすべてキャンセルに。在宅勤務中は自分と向き合う時間が増えて、このままでいいのかなという疑問が芽生えたんです。いつか旅先で出合ったゲストハウスをやってみたいという思いもあり、『全く違う環境で自分の可能性を追求してみたい』という気持ちが大きくなりました」

「自由」を求めて180度違う世界へ

そんなときにインターネットで見つけた、祖母が住むいわき市の地域おこし協力隊の募集。「もっと自由な生き方をしてみたい」という思いで、2020年6月に現地視察に参加した。

視察先は、協力隊の業務にSNSでの情報発信等を掲げていた田人町。自然資源が豊富で古くから農林業が盛んな中山間地域だ。

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「はじめて田人に来たときは、人も車も少なくて、田んぼが広がっていて。そして道の真ん中に馬がいたんです(笑)。あとで乗馬クラブの馬だと分かりましたが、今まで住んでいた場所との世界観の違いにびっくりしました。それから、会う人、会う人みなあたたかいという印象を受けました」

10代から焦がれるように旅をしてきた紺野さんが、旅先に求めてきた「自然」やその場所にしかない「ローカル」。その両方を持つ田人町に魅力を感じ、周囲の反対を押し切って会社を退職した。

そして、その年の11月に田人町へ移住し、それまでとは180度異なる暮らしがはじまった。

田人での暮らしに心満たされて

移住当初から、「ゲストハウスを経営したい」と話していた紺野さんは、観光施設の情報発信の仕事のかたわら、かねてから将来の担い手が課題だったHITO-TABIの運営スタッフに加わることに。

祖母宅からは遠く、土地勘もなく頼れる知人もいない。車の運転にもイチから慣れなくてはいけなかったが、「不思議と不安はなかった」という。

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協力隊の着任後は、地元産イチゴを使った季節限定スイーツや地元食材を使った新しいランチメニューの開発、クリスマスリースづくり、ヨガ教室などのワークショップの開催、ゴミ拾い活動と次々に企画を立てて実行した。

エネルギッシュに行動し、どんなことにも一所懸命。明るく前向きな性格の紺野さんはすぐに地元の人気者になった。地域の人に「ことみちゃん」と親しまれ、玄関を開けたら野菜が置いてあったり、お惣菜の差し入れをもらったり。

「田人は困った人をほおっておかない気質の人が多いです。愛情深い人に囲まれ、人のあたたかさ、優しさにふれる毎日でした」と振り返る。

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豊かな自然のなかで、四季の移ろいに身を委ね、周りの人と心を開いて言葉を交わす。

愛情深い人々に囲まれて毎日を過ごすうち、都会で知らないうちに競争にさらされ、何かに駆り立てられていた心がすうっと穏やかになった。

「本来は1人ひとり違う個性があって、輝ける場所があるはず。それが、私にとっては田人だったんですね。そのことを周りの人が気づかせてくれました」

余計なものがそぎ落とされると、世界中を旅しながら、1番大切にしてきた「心の自由」がより、鮮明になった。「ここで生活していると毎日『生きてるなあ』って思えるんです。すっかり満たされて、欲がなくなっちゃいました」と笑う。

心身の健康を取り戻せるゲストハウスを作りたい

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そして、今年3月末に協力隊の任期を終えると同時に自身の会社を設立し、地元団体からHITO-TABIの運営を引き継ぐことに。取材に訪れた7月は、クラウドファンディングで集まった協力金をもとに、古民家の一室をゲストハウスとしてオープンするためのリフォーム工事を行っている真っ最中だった。

山を通り抜ける風がやさしく風鈴を鳴らし、窓の向こうには山と田んぼに囲まれた小さな集落と、統廃合されて今は町でたった1つになった小学校がある。

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「『ここは何もないところだから』って地元の人は言うのですが、田人ならではの自然風景や人、食べ物、お祭り、伝統、みんなここにしかないものばかり。地元のおじいちゃん、おばあちゃん、子どもたち…住んでいる1人ひとりが持っている可能性も無限大です。当たり前にそこにあるものには気づきにくいだけで、田人は十分魅力が詰まった場所です」

紺野さんはそう話しながら、協力隊活動のなかで出会った1人ひとりの顔やストーリーを思い浮かべているのだろう。

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カフェの隣室にまもなくオープン予定のゲストハウスは、首都圏や海外からの旅行客、会社の研修などの団体客も見込んでいる。紺野さんはこの場所を「いろいろな可能性が生まれる明るい光を放つ場所にしたい」と意気込む。

「現代は本当にストレスを抱えている人、疲れている人が多いと思うんです。訪れた人が田人で暮らすように泊まれて、『心の自由』と心身の健康を取り戻せるように。そして、何度でも『ただいま』と戻ってこられる場所にしたい。そうして結果的に、田人にかかわってくれる人が増えていったらうれしいですね」。

旅の途中で見つけた自分の居場所、自分の幸せ。この町で地域の人に愛され、心も体も健やかに過ごせるようになった幸せを今度は、この町から世界に広げていく。

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取材:2023年7月

文:荒川涼子 写真:奥村サヤ Words:Ryoko ARAKAWA   Photography:Saya OKUMURA


プロフィール
紺野琴水(こんのことみ)さん 神奈川県出身。専門学校卒業後、JAL勤務を経て、2020年11月にいわき市の中山間地区・田人町の地域おこし協力隊に着任。協力隊では田人町の情報発信のほか、古民家カフェHITO-TABIで各種ブランディングやメニュー開発、イベントの企画・運営などに取り組んだ。協力隊として2年半の活動任期を終えて2023年4月に株式会社一凛の花を立ち上げ、HITO-TABIの経営を継承。これまで通りカフェの経営、コミュニティースペースの運営を続けながら、クラウドファンディングで寄せられた協力金をもとにHITO-TABIのリニューアル工事を行い、9月に併設のゲストハウスをオープンする予定。2022年、女性の内面の美しさやキャリア、社会貢献などを評価するビューティージャパンコンテスト東北大会でグランプリを受賞。全国大会にも出場し、ファイナリストに選ばれた。モットーは「最高の瞬間は心の支えに、最悪の瞬間はいつかだれかの心の支えになる」

古民家カフェHITO-TABI 
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