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朝カフェの会で広がる輪 人とつながり、地域を知る機会に

朝カフェの会で広がる輪 人とつながり、地域を知る機会に

「朝カフェの会」は、東京や関西を中心に、全国各地で開かれている「朝活」のひとつ。誰でも気軽に参加できて、主催もできるのが特徴で、参加費は自身の飲食代のみというゆるい朝活。この朝カフェの会を、福島県浜通りで主催しているのが、広野町在住のパソコン講師、青木裕介さんだ。お気に入りだという、川内村の古民家カフェ&ギャラリー「秋風舎」で、朝カフェの会の魅力と、浜通りで開催する意義を聞いた。

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誰でも気軽に参加できる「ゆるさ」が魅力

「この小さな看板を立てるだけで、朝カフェの会は一人でも成立するんです」と、青木さんは笑顔で話してくれた。普段の青木さんは、JR広野駅から徒歩3分ほどの場所にある「多世代交流スペース ぷらっとあっと」の運営を行いながら、同施設でパソコン教室を主宰している。天然パーマの髪型から自身で「もじゃ先生」を名乗り、地元の人たちに親しまれている。

朝カフェの会は、2016年に広野町で開催して以来、今まで6回ほど浜通り各地で主催している。誰でも気軽に参加でき、主催もできるのが魅力だと語る。「参加条件は3つだけ。参加費は自分の飲食代のみ、途中入退出自由、そして、人の嫌がることをしない、それだけです。イベント的には『カフェ』という空間で一緒にモーニングを食べるだけなんですけど、だからこそ参加しやすいし、初対面同士でも話がしやすいんですよ。主催者も参加者もフラットな関係で会が成立するんです」と青木さん。そんな青木さん自身が初めて朝カフェの会に参加したのは、2015年にさかのぼる。

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2023年4月、いわき市末続の「すえつぎCAFE」で青木さんが主催した朝カフェの会 写真:本人提供

避難先で出合った「朝カフェの会」

2011年3月に発生した東日本大震災と東京電力福島第一原発事故後、青木さん一家は広野町から150キロ以上離れた会津若松市に避難した。青木さんは、避難先での交流を広げようと積極的に異業種交流会や中小企業家同友会などに参加していたが、そこで出会った一人が朝カフェの会を主催していたのだ。2015年に初めて参加したのはコワーキングスペースでの会だったが、芦ノ牧温泉駅のホームや営業時間前のカフェなど、さまざまな形の朝カフェの会に出会った青木さんは、避難者であり移住者でもある自分も、気負わず参加できるゆるさや人の出会いにひかれ、その後4~50回も朝カフェの会に参加、主催することになる。

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2016年10月には、朝カフェの会の発起人である鈴木拓さんが福島で講演すると知り、参加。改めて、朝カフェの会の「誰でも参加できる」「誰でも開催できる」「みんなが幸せになる」というストーリーに共感した青木さんは、その場で鈴木さんから、今も使用している朝カフェの会の看板を譲ってもらい、翌日には、あたためていた自身のふるさとである広野町での朝カフェの会のイベントを告知した。

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鈴木さんから譲り受けた、朝カフェの会の看板

なくなってしまった「場所」の代わりに

2016年当時の広野町は、原発事故による避難指示は解除されていたものの、居住している人の多くは復興作業に従事する人たちで、青木さん自身もまだ帰還できず、会津若松市から広野町に「通って」いるような状態だった。カフェもまだなかった。そこで青木さんが朝カフェの会の会場に選んだのは、スーパーのフードコート。しかし、朝の時間帯はフードコートの営業が始まっていないため、各々が好きな朝食と飲み物を持参するという形での開催となった。

「初の主催、しかも離れてしまっている地元なので、誰も来ないかもしれない。でもひとりであっても、自身のふるさとである広野町で開催すること自体に意義がある」という青木さんの思いとは裏腹に、会場には、地元の古くからの知り合いや、SNSを通じて知り合った人たちなどが多く集まり、話が弾んだ。現在、多世代交流スペースぷらっとあっとを共同運営するスタッフとの初対面も、この朝カフェの会だった。

「当時の広野町や隣の楢葉町では、元々住んでいた人たちが店や団体を始めたり、移住してまちづくりの活動を始める人たちが増えていた時期でした。SNSで知ったそういう人たちと、朝カフェの会を通じてリアルにつながることができ、今でも付き合いが続いています」。ふるさと広野町での初開催では、ハード的な「カフェ」という場所がなくても、「朝カフェの会」という形で、人と人がつながる場をつくれると実感できたと青木さんは振り返った。

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2016年11月に、広野町で初開催した朝カフェの会 写真:いわき経済新聞

ひとりでは行けない地域に行くきっかけにも

2022年8月末に双葉町の避難指示が一部解除され、震災から11年半が経過してようやく、浜通り全ての市町村に人が住めるようになった。帰還や移住する人が少しずつではあるが増えていくことで、人が集まる場としてカフェの開店も増えている。とは言っても、数年から10年以上人の住むことの出来なかった地域に、目的もなく足を運ぶのをためらう人もまだ多い。そういう場所で朝カフェの会を開くことで、この地域に来るきっかけにもなって欲しいと青木さんは考えている。

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青木さんお気に入りの古民家カフェ、川内村の「秋風舎」

「いろいろな場所がなくなってしまった地域では、人とのつながりや情報交換の場も失われてしまった。でも実は、素敵な場所はたくさんあるので、朝カフェの会がそういう情報交換の場になったらと思います」。また新しく開店したカフェを訪れることで、地域を知って欲しいという思いもある。「居住人口が震災前に比べて圧倒的に少ない地域で開店したカフェを、朝カフェの会をきっかけに利用してもらうことで、多くの人に存在を知ってもらい、その地域を知る機会にもなったらうれしい」と話す青木さんは、2023年に入ってから、4月にはいわき市末続、7月に双葉町での朝カフェの会を開催している。そのどちらの会でも、「このカフェに来てみたかった!」「この地域に来るの、初めて」という人が多くいて、人と地域がつながる瞬間を感じたという。

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2023年4月、いわき市末続で開催した朝カフェの会には、いわき市外からも多くの参加者が訪れた 写真:本人提供
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2023年7月に双葉町の「KEY’S CAFE 福島双葉店」で開催された朝カフェの会は、カフェを運営する浅野撚糸の協力のもと開催された 写真:ふたばプロジェクト

やってみたい人を全力で応援

浜通り各地で積極的に朝カフェの会を開催している青木さんだが、朝カフェの会の特徴は「誰でも開催できる」こと。今後は、自分以外の人が浜通りで主催する朝カフェの会に参加したいという思いもある。「せっかく浜通り各地にカフェができているので、いろんな人に朝カフェの会を開催してもらって、浜通りのカフェをくまなく巡りたいですね。初めはもちろん不安だと思いますが、誰かが浜通りで朝カフェの会をやると聞いたら、少なくとも私は必ず参加しますし、協力も惜しみません」。

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参加者だった青木さんが、自分のふるさとである広野町で朝カフェの会を始めたように、浜通りに暮らしていたり、魅力を感じていたりする人たちが、気軽にお気に入りのカフェで朝カフェの会を開催する。そんな浜通りの未来も遠くないのかもしれない。

取材:2023年7月

文:山根麻衣子 写真:堺亮裕 Words:Maiko YAMANE Photography:Ryosuke SAKAI


PROFILE
青木裕介(あおきゆうすけ)さん 福島県双葉郡広野町出身、在住。ひろのパソコン教室代表、合同会社ちゃのまプロジェクト代表社員。JR広野駅近くで商業施設を改装した、多世代交流スペース「ぷらっとあっと」を地元スタッフと共同運営。世代を超えた地域の人たちが集まる場を目指し、毎月第4日曜日にはマルシェも開催している。地元である福島県浜通りのカフェで不定期に「朝カフェの会」を企画し、地域の人たちがつながる場を提供している。愛称は「もじゃ先生」。

朝活 交流会 朝カフェの会
https://www.asacafenokai.com/

ひろのまち朝カフェの会(Facebook)
https://www.facebook.com/hirono.asacafe/

多世代交流スペース ぷらっとあっと(Instagram)
https://www.instagram.com/plat.at.hirono/